【キリストの平和】
神は嵐が過ぎ去るのを待って平和を与えることはなさいません。キリストの平和は既にここにあります。つまりそれは、神に目を向け、神の約束の御言葉を心に取り入れることによって与えられます。
<ボンギ・アルギロワ>
【先が見えない】
私に行くべき道が見えない時も、神様には見えておられます。
<デボラ・オイエレード>
【必要以上に持っている時】
私が必要としている以上に、神が私に与えて下さる時、私は分かち合うように召されています。 Ⅱ歴代20:12
<マイケル・キンメル>
【足あと】
あしあと
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」
<マーガレット・F・パワーズ>
【心配でしょうがない・・】
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
<聖書 1ペトロ5:7>
【孤独で寂しい…】
われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。
<聖書 申命記4:7>
【心が疲れた…】
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
<聖書 マタイ11:28>
【傷】
わたしは傷を持っている。でもその傷のところから、あなたのやさしさがしみてくる
<星野富弘>
【命より大切なもの?】
いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった。
<星野富弘> 命より大切なものとは「愛」かも…
【自然は語っている】
黒い土に根を張りどぶ水を吸って、なぜ、きれいに咲けるのだろう。 私は大勢の人の愛の中にいて、なぜみにくいことばかり 考えるのだろう。
<星野富弘>
【母に感謝】
神様がたった一度だけ、この腕を動かしてくださるとしたら、母の肩をたたかせてもらおう。
<星野富弘>
【できごとの奥を見る】
よろこびが集まったよりも、悲しみが集まった方が、しあわせに近いような気がする。強いものが集まったよりも、弱いものが集まった方が、真実に近いような気がする。しあわせが集まったよりも、ふしあわせが集まった方が、愛に近いような気がする。
<星野富弘>
【いのちの力】
いくら生きるのをやめようと絶望しても、体の器官は、自分の役割を一生懸命果たしている。自分を生かしてくれる「いのち」の力に気づきました。自分がいのちをコントロールしていると思うのは錯覚で、もっと大きな力が私を生かしてくれる。
<星野富弘>
【幸せになる道】
車はガソリンで走る。神は人間が神によって走るように設計された。神ご自身が燃料となり食料とならねばならない。それ以外に幸せになる道はない。
<C・Sルイス>
私たちが自らを神にゆだねていくに従って、私たちは本当の自分自身に帰っていく。なぜなら、神が私たちを造られたからである。神は人間をそれぞれ他の人とは違う者として造られた。あなたにも私にも本来意図されている姿があるのである。・・・私たちがキリストのもとに立ち返り、自分自身を神に明け渡す時、私たちの個性は初めて息を吹き返すのである。
<C・Sルイス>
【痛みは神のメガホン】
神はわれわれの楽しみの中でささやかれ、われわれの良心に語られる。しかし、われわれの痛みの中で叫ばれる。痛みは耳が不自由な世界の人々を覚醒させるメガホン(拡声器)である。
<C・Sルイス>
【赦すのは赦されたから】
クリスチャンであるとは、赦しがたい人々を赦すことである。神があなたの中にある、赦しがたいものを赦してくださったからである。」
<C・Sルイス>
【人を見下している限り…】
神に出会う時、わたしたちはあらゆる点でわれわれよりも無限に優越しているものに直面することになる。神をそのようなものとして理解しない限り――したがって、これと比べれば自分は無に等しいと考えない限り、神を知ったことには全然ならない。われわれは、倣慢である間は、決して神を知ることができない。倣慢な人はいつも事物や人びとを見下している。見下している限り、自分の上にあるものが目に入らないのは当たり前である。
<C・Sルイス>
【教会の存在目的】
教会は人々をキリストの内に引き入れ、彼らを小さいキリストとすること以外のどんな目的のためにも存在しない。もしこのことをやっていないなら、すべての聖堂、牧師、伝道、説教、聖書そのものさえも、単なる時間の浪費に過ぎない。
<C・Sルイス>
【狭い門から入る】
罪や欲望を持ったままでは決して入ることのできない天国への狭い門を通って入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、罪や欲望を持ったままでも十分入れます。またそこを通って行く人は沢山います。しかし、救いに至る門は極めて小さく、その道は狭く、罪や欲望を持ったままで、入ることは出来ません。また、そこを通って行く人は決して多くはありません。
<イエス・キリスト 現代訳より>
